2024/04/23(火)春は夜

夜ご飯を食べるのに久しぶりに台所に立った。最近料理をする気力がなかったので自分で何か作ろうと思えることにほっとする。作るのは冷凍うどんを使ったカレー風味の焼きうどんだから、大したことはないのだけれど。

 

日曜日に料理を諦めて外食したのが良く作用した気がする。無理な時は諦めてしまって、時が来るのを待つのも一つの方法なのだなと思う。

 

食後にお茶を淹れようとして、水が切れていることに気づきコンビニへ行く。ご飯を買うため以外の理由でコンビニへ行くのは久しぶりだ。お菓子でも買おうかとうろうろ棚を見てまわるけれど、空腹じゃないと甘いものも酒も我慢できる気がして何も買わなかった。

 

家へ戻って、箱ティッシュも買うつもりだったのを忘れていたと気づく。もう一度コンビニへ行くしかないと考えると途端にお腹が減った。

 

同じコンビニに行く気持ちになれなくてスーパーへ。箱ティッシュと一緒に河内晩柑と味の素のレトルトの粥を買う。

 

数年前に初めて食べてから河内晩柑が好きだ。少しだけ苦味と酸味があるけれど、ほんのり蜂蜜のような甘さがあって良い。

 

味の素のレトルト粥も好きでよく食べる。梅がゆと白がゆをよく買う。具材が何も入っていない白がゆは特に米の甘さが引き立って、温めなくてもおいしい。コロナがもっと恐れられていた頃、レトルト粥をいくつも買うと発熱していると思われそうでなんとなく気が引けて、こそこそとセルフレジで購入していた。

 

好きな食べ物を手に軽い足取りで家へ戻る。気温が15度ほどで、薄着だと少し肌寒い。

 

夜に外を歩くのは、自然と景色を眺める時間になる。電車の時間を気にして早足になることもないし、辺りはしんとして人の話し声も聞こえない。冷たい空気に静けさを感じて、ぼうっと光る信号機に闇の色を見る。

 

風が吹くと花の青い香りがして辺りを見渡した。夜道にくっきりと赤い薔薇が咲いている。そういやこの前の夜中も、コンビニへ行く道で桜が香った。

 

花見をしに訪れた公園で桜の匂いを嗅いだ時のことを思い出す。花弁に顔を近づけ、鼻で深く空気を吸い込む。するとようやく微かに甘い香りがする。あの微かな香りが、夜に桜の木の横を通るだけで鼻へ届くものかと驚いた。

 

昼間のあたたかい日差しも良いけれど、ひんやりした空気に花が香る夜が嬉しい。春は夜。風うち吹くころはさらなり。

 

2024/04/21(日)自信をなくさないように

偏頭痛で目が覚めた。左側のこめかみから背中までがぐっと重たくだるい。指先でゴリゴリと刺激する。

 

低気圧のせいか、姿勢の悪さか、不規則な生活リズムか。偏頭痛の原因を無意味に探る。

 

体を起こす気になれずだらだらと過ごし、夕方に美容院へ。前髪を切ってもらう。

 

夜ご飯は何を食べよう。正直何も食べたいものが思いつかない。

 

野菜と調味料さえあればてきとうに味噌汁やら炒め物やら作って食べていたのに、最近それができない。おなかがすいても食べることを諦めてしまいがちだ。

 

食べない日々が続くと健康に悪いことはわかっている。料理するのは諦めて、散歩がてら外食をしてしまうことに決めた。

 

大好きな洋食屋にも蕎麦屋にも入る気になれなかったけれど、とんかつなら食べられる気がして店に足を踏み入れた。美味しく食べて、それからそばにある喫茶店で日記を書いた。

 

残業を進んでするほど仕事が好きだったのに最近は仕事をするのも仕事のことを考えるのもしんどい。いざとなったら辞めてしまえば良いと思っているけれど、辞めたら二度と働くことができなくなりそうで怯える。

 

自分が仕事を嫌になってしまっている原因を考える。仕事に手がつかないとしたら環境のせいである可能性は高いから自信をなくさないように、と自分に言い聞かせるように日記メモに書いたあたりで喫茶店閉店時間になったので家へ帰った。

 

心細い。仕事が楽しいと思っていた頃に戻りたい。働くのは社会とのつながりを感じるためで(働かなくても社会の一員である。仕事をせずとも社会との繋がりを感じられればいいのだけれど、出不精の私は仕事という方法でしか感じられない気がする。)、その仕事に乗り気じゃないというのは孤立感が生み出されてしんどい。明日は珍しく朝が早いから早く寝たいのに、全然眠れない。

2024/04/18(木)毛深い腕と憂鬱

会社から帰る電車の中で、自分の体毛に思いを巡らせていた。いま、肘のあたりに毛の境目がある。肩から肘はふさふさで、肘から手首はつるつるとまではいかないが毛の剃られた状態だ。

 

体毛をあまり剃らずに生きている。単に面倒臭すぎるし、肌が傷つくのも嫌だし、自然に生えてくる毛をなんでわざわざ剃らなきゃならないんだと思う。

 

近頃は電車に乗っていてもスマホを触っていても脱毛の広告が盛んで、毛を剃らないぞという思いはより強固なものになった。毛深い腕で花柄のワンピースを着て平然と歩いてやる。体毛を剃らなくて何が悪いと世の中に向かって密かに訴える。

 

とはいえ剃りたい気持ちが生まれる時もあるのでたまに剃る。先日7部丈のぴたっとしたカットソーを着たらふさふさの腕がやけに気になって、面倒だなと思いながら肌が露出する部分だけを剃った。それで肘に境目ができた。

 

着る服によっては剃りたくなる日がある。ただ剃りたくなったからといって必ず剃る訳ではない。今回はたまたま剃ったけれど、剃りたい気持ちよりも剃らないことを肯定したい気持ちの方が大きくて、ふさふさのままにしておく日も多い。

 

世の中の脱毛ブームに抗うように毛を生やしている。(たまに剃るけれど。)ふと、日々自分のネガティブな気持ちが強いのも同じような理由からだと気づく。

 

怒らず落ち込まず、明るく振る舞うことこそが素晴らしいのだという風潮を感じることがある。長いものに巻かれてしたり顔でいること、抵抗しないことを評価する空気がある。そこに抗っていきたい。

 

ネガティブな感情をないものとしたくなくて、日々の楽しみよりも憂鬱さに焦点をあてて過ごすことが多い。不安や怒りを見過ごさず、そこに潜む信念を忘れず生きていく。

 

最寄駅に着いてスーパーに寄る。冷蔵庫に消費期限が昨日までの肉があるからそれを使ってしまいたくて野菜やらを買った。家に着き、薄々予感はしていたけれど疲れて何も食べたくない。

 

家を出るのが面倒な日を案じて少量の豚こまを2パック買っておくことがたまにある。ただ2パック目をちゃんと使った記憶があまりなくて、もう肉をストックするのはやめようと思った。

 

久しぶりに出社したので眠い。無理はしないことにして、ご飯は食べずに寝た。

 

2024/04/14(日)Sちゃん

家を出る30分前に目が覚めて慌てて飛び起きた。学生時代の友人Sちゃんと3年ぶりに会う日だ。急いで家を出て鍵を閉めたところで日差しの強さに気づいた。日傘、と思ったけれど取りに戻る余裕はなかった。

 

Sちゃんは大学の専攻が同じだった。最後に会ったのは2021年春、大学の卒業式。それから3年間、コロナの流行でなかなか会うことができなかった。年に一度くらい連絡を取って、また会いたいね、いつか会おうねと言い合って、ようやく今日会える。

 

待ち合わせの駅の改札を出て、あまりにも人が多いから電話をかけた。呼び出し音が止んで、もしもし、と言おうと口を開いたところで視界の端に手を振っているSちゃんの姿が見えた。

 

再会を喜びあって、近況を話しながら予約していたフレンチへ向かう。お互いの仕事も知らずに今日を迎えていたから、話題がいくらでもある気がした。

 

初めて食べたガレットはハムとチーズと卵が乗っていて、柔らかい生地のビスマルクピザのようだった。山盛りのサラダをうまくすくえなくて、サラダの上に乗ったクルトンを2人でぽろぽろとこぼしてケラケラと笑った。気取らず何でも笑い合えるのが嬉しい。

 

ランチの後は近くの公園まで桜を見に歩いた。公園内の桜はどれも散り始めていて、風が吹くと空からはらはらと花びらが落ちてくる。桜は満開もいいけれど散り際も美しいと知った。

 

ずいぶん歩いて引き返したところで、空からではなく進行方向からこちらめがけて桜吹雪が降ってきた。丘の上から吹き降りる風による、横殴りの桜吹雪。太陽の光のなか降りそそぐ花びらたちが美しくて、それをSちゃんの隣で見ていられる時間が尊くて、この時間以上に人生に必要なものなんてないと思った。

 

そしてその思いを口に出した方がいい気がしたけれど照れがあり、変換されて「死ぬ時に思い出しそう」と言った。死ぬ時までずっと大事に覚えていたかった。

 

突然死ぬ時の話をしだした私にSちゃんは笑いながらそんなこと言わないでと言った後、「あの時の桜…綺麗じゃったのう」とお婆さんになりきってくれる。

 

それから名前のわからないもさもさした花や低木にひっかかったバドミントンの羽、銀杏の若葉を見たりしてから、疲れた足を休めにファミレスへ入った。Sちゃんがドリンクバーへ立つ時に窓の外へ目をやると日差しが明るく大通りは人で溢れていて、世界は全く平和じゃないのにまるで平和であるように見えるのが恐ろしい。

 

水分をたくさん取ってお腹がいっぱいになったので解散することにした。駅の改札の先で別れ、1人ホームに降りる。風で煽られた前髪に手をやると、指先から小銭の匂いがする。1人でいる時は電子マネーばかり使ってしまうから、その匂いに人と会っていた実感が沸く。

 

3年前の卒業式の日、大学の門をくぐって一番初めに会ったのはSちゃんだった。私を見つけて名前を呼んでくれて、はっと目をやるとSちゃんがいた。袴を着た彼女の姿が綺麗でふと涙が出た。

 

大学4年へ上がる直前にコロナが流行り始めた。新卒採用の説明会が次々と延期され、大学へ入構することも出来なくなった。ゼミの仲間と顔を合わせることなく卒論を提出した。

 

卒論を書き切ることに精一杯で、提出後ぼんやりしているうちに気づけば卒業式の日になった。袴を着るのが面倒だから、数年前に買って形の古くなっていたワンピースを着てのんびりと大学へ向かった。行けばきっと会いたい人には会えるだろうと、事前に誰にも連絡しなかった。

 

大学は卒業してそれきりの場所ではない。いつだって戻って来れるし、これからも勉強し続けなければならない。卒業は一つの区切りなだけだ。涙脆い方だけれど、卒業式で大きな感動はない気がしていた。

 

だからSちゃんに会って感情が込み上げるより先に目から涙がこぼれて驚いた。自分の涙に慌てているうちにSちゃんも涙しだすから、そこで胸がいっぱいになる。

 

当時はSちゃんの卒業を祝って出た涙だと思っていた。同級生でありつつも年下のSちゃんは可愛く愛おしい存在で、私たちの卒業ではなく彼女の卒業を祝う気持ちが確かにあった。今こうして振り返ってみると、Sちゃんという友人の存在そのものへの喜びで出た涙でもあったのだなと思う。彼女の存在に救われていたし、今も救われている。

 

お互いが撮ったガレットや桜吹雪の写真を送りあって、また会おうね、ありがとうね、とメッセージを送り合ううちに最寄駅へ着いた。

 

スーパーで夕飯と明日食べるパンや米を買った。レジ横でグミが特売の空気を醸し出していたので手に取りかけたけれど200円するタイプのグミだったので買うのをやめた。食べたいものは多少高くても買ってしまうけど、なんだか200円のグミはたまにしか買えない。

 

家に着いてシャワーを浴びて、最近買った日記を読んで過ごした。

 

Sちゃんはいつも夜22時に寝て朝は6時に起きるという。3時に寝て10時に起きる私とは大違いだ。22時と言わずとも23時くらいには寝ようと思っていたのに気がつけば夜も更けて、もう2時になってしまった。日記も2000字を超えたので、推敲もそこそこに寝た。

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4/13(土)に三鷹の書店UNITÉで開催された、古賀及子さんと藤岡みなみさんのトークイベントを聞いた。対談の中で「日常に対する照れくささ」の話があり、桜吹雪の中Sちゃんへの言葉が詰まったのは照れだ…と気付く。イベントを聞いていなかったら、照れを照れと認められなかったかもしれない。

2024/03/31(日)本棚は光り続ける

12時過ぎに目が覚めた。どうやら今日は暖かいらしく、SNSで沢山の人が春だ春だと言っている。日に照らされたカーテンに街路樹の影がうつるのをぼんやり眺めた。

 

しばらくして昨日買っておいた焼き鮭を食べようと体を起こす。部屋の中はひんやりしているけれど、確かに春どころか初夏の匂いがする。

 

そんなに天気がいいのなら外へ出てみようかという気持ちもありつつも、休日は電車も街も人でいっぱいだろうと想像するとそれだけで気が引ける。ぼさぼさの髪のままソファーに体を倒した。

 

生産性のある行為をしたい気持ちとだらだらしたい気持ちが一瞬せめぎあって、すぐに「だらだらすることこそ人生の意義だ」と思い直す。気づけばそのまま寝ていて、アレルギー性の鼻炎で息が苦しくなって目が覚めた。17時を回っていたので夕飯にした。

 

最近は食べたいものが何も思いつかないから味噌汁を食べるようにしている。味噌汁には何を入れてもよい感じがして気が楽だ。いつも冷蔵庫にある野菜をてきとうに入れる。

 

今日の具はキャベツと卵。味噌汁は沸騰させないほうが良いらしいけれど、ぐつぐつと煮込んだ味噌汁が好きなので気にせず沸騰させてしまう。出汁入りでない味噌を入れて煮立たせると、麹と塩の味がよくわかる。味気ないといえばそうなのだけれど、その味気なさが食べやすい。

 

夜になってようやく外へ出てみようかという気持ちになった。隣町の本屋まで行って、ケーキを買って帰ろう。身軽にしたくて、財布とスマホをポケットに入れて鞄を持たずに家を出た。

 

駅のホームへ着くと電車を待つ人は視界に一人しかいなくて、ひとけのなさに安心する。夜間勤務の仕事に転職した方がいいんじゃないかと思うくらい、もう昼に外へ出たくない気がする。最近は夜の3時とか4時まで起きてしまうし。

 

夜勤は夜勤で大変なのにそんなことをぼうっと考えた。そのうち電車がきて、ぴかぴかと光る車内へ乗り込んだ。

 

電車を降りてまた夜空の下へ出ると、程よく涼しい風が吹いている。心地よくて、なんだか満たされた気持ちになった。

 

久しぶりに気分が落ち込まない土日だった。もうこれ以上何も考えたりしたくない。辛い思いもしたくない。こうやって心地よいうちに人生が終わればいいのにと、死にたい訳ではないけれどそう思った。

 

生きるのは苦しく、こうやって清々しい時間ばかりじゃない。どんなに苦しくても生活は続けていかなきゃならない。救われない思いと一緒に生きていくしかないんだという諦めがある。商業ビルに足を踏み入れてエスカレーターで上へと上がると、夜風を浴びて清々しい気持ちから一瞬で現実に引き戻されていく。

 

本屋の中は打って変わって明るく、暖房が効いていて少し暑い。ここへは仕事関係の本を買いにくることが多くて、文芸の本がどこに置いてあるのかぴんとこない。検索機で目当ての2冊の売り場を調べた。

 

本棚を眺めながら目当ての本を探して歩く。背表紙を目で追うだけで、一冊一冊に詰められた生きる喜びがつぎつぎに嫌というほど脳内に入ってくる。うんざりした。こんな嫌な世の中でも前を向いて生きていかねばならないのか。

 

背表紙たちは煌々と光る。オレンジ色のあたたかな光でもおしゃれな間接照明の光でもない、ただ真っ白な光。それは天井のLEDからだけでなく、本棚からも漏れ出ている。

 

学ぶべきことがいっぱいある。生きる豊かさに目を向けて、勉強し続けなければならない。うんざりだ。そう、うんざりしながら生きていかねばならない。30年近く生きてきてそんなことは十分に分かっているけれど、時々怯んでしまう。

 

私の怯えをものともせずにやはり本棚は光り続けるから、鬱々とした気持ちもついに音を上げた。分かっています、いじけてる暇なんてないんですよね。

 

欲しかった本はどちらも明日発売で、1冊は買えたがもう1冊はまだ未入荷だった。

 

本屋を出てからケーキ屋へ向かう。ロールケーキを買うつもりだったけれどもう売り切れていて、フルーツがたくさんのったのとショートケーキを1つずつ買った。

 

右手にケーキ、左手に本を持って家まで歩く。商店街を歩くと肉と甘いたれの匂いがする。1,2年前に潰れてしまった、学生時代のバイト先の居酒屋を思い出した。ここ数年で沢山の良い店がなくなってしまった。

 

車が走る大きな通りに出た。暗い道に輝く信号と追い越し禁止の標識を眺めていると、明日からの仕事を投げ出してこのままどこかへ行ってしまいたくなる。でもだめだ、明日は新人さんの仕事を手伝うことになっているんだと現実に引き戻されて、仕事の不満を考え続けるうちに家へ着いた。

 

手を洗ってお湯を沸かし、ケーキを皿に出す。マグカップに紅茶のティーバッグとお湯を注いで3分ほど待つ間、フィルムについた生クリームを舐める。おいしくってつい笑ってしまう。

 

買った本を読んで、日記を書いて、ケーキを食べきった。それからはまた相変わらずだらだらと過ごして、日が昇ってから眠った。

2024/03/17(日)もう気付かずにはいられない

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2024年1月~3月に日記屋 月日さんで開催されたワークショップ「日記をつける三ヶ月」(ファシリテーター古賀及子さん)に参加しました。

ワークショップで書いた日記の一部をこちらにも公開します。

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最後のワークショップの日。一番初めの日記に書いた青いフラットシューズを履いた。家を出る時にボールペンが見当たらなくて、駅の売店で税抜き98円のを買う。売店の人が外袋の封を開けてくれ、中に入っていたボールペンだけを受け取った。

 

柔らかな青空に今日もBONUS TRACKが映える。前回のワークショップの日に撮り損ねた青空とBONUS TRACK、今日こそは写真に収めたい。鞄からおもむろにスマホを出してカメラアプリを開く。写真を撮るという行為に慣れず、ささっとてきとうに1枚撮って終わりにしてしまった。

 

ファシリテーター古賀及子さんの「お互い同期として今後を見守りましょう」という言葉が嬉しい。皆さんどうか見守らせてください。ワークショップも打ち上げも楽しみ、別れを惜しみながら帰路につく。

 

家へ着いて荷物を床に置く。さっきまで沢山の人と話していたのに、急に一人になってしまってそわそわする。このあと夜寝るまで静かな家にいるなんて寂しい。耐えきれずもう一度外へ出た。

 

公園や川沿いで皆の日記を読み返したいような気持ちだけれど、もう夕方だ。ずっと外にいるのは冷える。打ち上げで沢山お茶を飲んだからカフェという気分にもならず(打ち上げに予約して頂いたレストランではお冷ではなくアイスティーが出され嬉しかった)、居酒屋かバーで酒を飲むことにした。

 

しかし当てがない。コロナが流行ってから一人で飲み屋へ行かなくなってしまったし、よく友人と行く居酒屋は一人席の記憶がなくて入りづらい。

 

駅前のガラス張りの明るい店は気分じゃなくて、普段立ち寄らない通りを歩く。駅から離れると次第に車も人も少なくなった。ヒールのない靴が柔らかい足音をたてる。夕暮れと春風が穏やかで寂しい。

 

アンティークショップの店頭でこけしが売られていてつい足を止めた。ワークショップの参加者にこけし好きの方がいたのだ。今までだったら気に留めていなかったけれど、もう気付かずにはいられない。これからこけしに気付くたび、ワークショップのことを考えるんだろう。寂しさを拭った。

 

ぐるぐると街を歩いて、店を選り好みしたり予約でいっぱいだと断られたりした。気づけば空は暗く、歩き出してから随分と時間が経っている。おろしたての靴で足が痛い。

 

意を決してパートナーFの友人A君が働いている居酒屋へ向かった。Fとは喧嘩中だから、共通の知人に顔を合わせるのはなんだか気まずい。A君にも気を遣わせてしまいそうで嫌だったけれど、もう他に行けるところがない。

 

カウンターに座ろうとしたところで、キッチンにいるA君と目が合った。ビールを頼む。珍しく一人で来た私にA君は気を遣ってくれる。私もうまく返せればいいのだけれど、一人で飲みに来ることなんて普段ないから何を言っても気を遣わせてしまって申し訳ない。喧嘩しているFのことはこれっぽっちも考えていなくて、日記を一緒に書いてきた仲間のことで頭がいっぱいなだけなのだけれど。

 

日記を読んだり今日を思い出したりしながら二杯目のハイボールを飲むうちに、お腹がいっぱいになってきた。それに眠い。ゆっくりだらだらと過ごしたかったけれど、早々に退散することにした。

 

あくびが止まらなくて涙目で会計を済ます。帰るの?またね、と後ろからA君に声をかけられ、振り向きざまに涙が落ちた。喧嘩して感傷に浸っていると思われたら嫌だけど、忙しそうで弁解もできずに店を出る。

 

家へ向かいながら考える。ワークショップが終わった。これからも日記を書いていきたいけれど、15人以外に見せることを考えるとそれだけで少したじろぐ。 

 

日記にはFのことをたびたび書いていたが、Fに日記を見せたことはなかった。ただZINEを作ったり公開する前には読んでもらいたいという思いがある。

 

さていつ喧嘩を終わらせようか。喧嘩が終わった先にあるのがもし別れだとしたら、彼は私の日記を読んでくれるだろうか。

 

やっぱりそのうち考えることにして、眠るまでまた皆の日記を読み返した。

2024/03/08(金)ミモザの日

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2024年1月~3月に日記屋 月日さんで開催されたワークショップ「日記をつける三ヶ月」(ファシリテーター古賀及子さん)に参加しました。

ワークショップで書いた日記の一部をこちらにも公開します。

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目が覚めて布団の中で「今までで一番働きたくない日だ」と強く思う。

 

何か特別大変な仕事が待ち受けているわけではない。3日前に今すぐ会社を辞めたい気持ちに気付いてしまって、それから毎日うんざりしている。日に日に漠然とした不安が強くなっているのが分かる。

 

スマホを手に取るとLINEの通知がいくつかある。それを見ている間は仕事のことを考えなくて済むから嬉しい。そのうち始業時間が近づいて、諦めて布団から出た。

 

上司に「小倉さんがいてくれてよかった」と言ってもらっても素直に受け取れないのは、社交辞令を覚えたからだろうか。それとも紅一点のこの環境下で、評価されることを諦めてしまっているから?

 

定時を過ぎて、残業前に休憩を取る。SNSを眺めていると、企業が作ったミモザをテーマにした動画がいくつか流れてくる。今日は3月8日、ミモザがモチーフの国際女性デーだ。

 

私が見たそれらの動画は鮮やかな黄色いミモザの美しさを楽しんでいるだけで、国際女性デーとしてのメッセージを感じられなかった。そんな動画を作る暇があるならおたくの管理職の女性の割合をあげたらどうですか。上澄みをすくっただけのミモザに辟易とする。

 

うんざりしながら業務に戻る。少し働いたけれどすぐに月曜の自分に託すことにした。

 

せっかくの週末だけど食べたいものがない。夜ご飯はどうしようかと考えながらソファーの上で体を左に倒す。退勤したのに仕事のことが頭にこびりついている。必死で忘れようとする。

 

次第に左手の指先がずきずきしだして、左耳からは高い耳鳴りが聞こえてくる。右耳で必死にエアコンの音とiPhoneから流している音楽を聴く。自分のことさえ忘れてしまいたい。ただただ外界に意識を向ける。

 

CharaのJunior Sweetを聴いている。記憶していたよりも少しだけゆっくりなメロディーに落ち着かされる。

 

夕飯を食べていなかったので重い頭でコンビニに行く。甘い酒を2缶買った。つまみも選びたかったけれどどれもぴんとこなくて買えず、家へ戻ってシャワーを浴びる。

 

頭を濡らすのも、シャンプーを泡立てるのもだるい。昨日母からきたLINEに軽く添えられていた「どんなことが起こっても生きていこうね」というメッセージを思い出す。

 

なんとか風呂からあがってさっき買った甘い酒の缶の口を開ける。少しお腹が減っていたから、冷蔵庫に残っていた豆苗を皿に出してハーブソルトをかけた。

 

生の豆苗は青臭いし、切るのが面倒で長いままだから食べづらい。料理ともサラダともいえないその豆苗を食べながら、生きている実感が湧く。

 

日記を書き進めたかったけれどもう眠くなってしまって書かずに寝た。